詳説 世界史研究 第1章 古代オリエント世界

『オリエント世界の風土と人々』

オリエントの社会では、大河を利用した治水・灌漑事業に多数の住民を組織・動員する必要から、宗教の権威によって淘汰する強力な神権政治の仕組みが早くから発達した。(p.17)

 

『エジプトの統一国家

王はナイル川の水位を管理し、増水期を正確に予知する存在として超越的な権威をもった。王は生ける神であり、それを頂点とする巨大な中央集権的官僚体制が、3000年の長きにわたり極めて安定した神権政治を維持したのである。(p.21)

 

ヒクソスはセム語系の複数の民族で、一部インド=ヨーロッパ語系の人々も含まれていたが、それまでエジプトで知られていなかった馬と戦車をもたらした。(p.21)

 

『エジプトの宗教と文化』

エジプトではナイル川の氾濫時期を予知し農作業を季節に応じておこなう必要から、天文学暦法が古くから発展した。恒星シリウスの動きをもとに1年を365日としたエジプトの太陽暦は、のちローマで採用されてユリウス暦となった。(p.23)

 

ヘブライ人とユダヤ教

セム語系のヘブライ人は、もとはユーフラテス川上流域で遊牧生活を送っていたが、前1500年頃パレスチナに定住した。その一部はヒクソス人とともにエジプトに移住したが、ヒクソスを撃退した新王国でファラオの圧政に苦しみ、前13世紀頃に指導者モーセに率いられてこの地を脱出した(出エジプト)。(p.25)

 

第2代の王ダヴィデはペリシテ人を撃退してパレスチナ全土を支配下におき、イェルサレムを都として統一王国の基礎を固めた。その子ソロモン王は通商交易を盛んにし、イェルサレムに神ヤハウェの神殿と宮殿を造営、王国は繁栄を極めた。(p.25)

 

イスラエル王国は前722年にアッシリアサルゴン2世に滅ぼされ、また前587年には、ユダ王国新バビロニアネブカドネザル2世に征服されて神殿も破壊され、住民の多くはその都であるバビロンに強制移住させられた。(p.25)

 

前538年、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝のキュロス2世によってヘブライ人は解放され、帰国をはたした。彼らは前515年にイェルサレムに神殿を再建し、神殿における祭儀規則とモーセの律法を守る律法主義的なユダヤ教がここに確立した。のちユダヤ教が律法を極端に重視する形式主義に陥ると、イエスがあらわれて神の愛に基づく新たな信仰に命を与え、やがてイエスの教えはユダヤ人のみならず人類全体に広がる世界宗教としてのキリスト教に成長した。(p.26)

 

古代オリエントの統一』

アッシリア王は強大な専制君主で、広大な領域を支配するための中央集権的官僚体制を確立した。領土は属州に分けられ、首都から各地にいたる駅伝制を設け、各地には総督がおかれて統治にあたった。王は国家の最高神であるアッシュル神の現世における代行者であり、政治・軍事・宗教・裁判において絶対的権力を持っていた。また王は反抗的な周辺諸民族を強制的に別の土地に移住させて臣民とする強制捕囚政策をとり、それによって反乱の芽をつみとるとともに、帝国の政策を実行するために必要な軍人・職人・労働者を帝国各地に供給した。しかし、この大帝国の支配は、重税と圧政によって服属民の反抗を招いたため、アッシュルバニパル王の治世が終わると同時に驚くほどの早さで崩壊し始め、前612年には新バビロニア・メディア連合軍の前に敗れ去って終わりを告げた。(p.27)

 

『アケメネス朝』

ダレイオスは帝国を画一的に州(サトラピー)に分け、各地に知事(サトラップ)をおいて統治させた。これはアッシリアの制度を受け継いだものだが、全土を均一に分けたのはこれがはじめてであった。州の数は20ないしそれ以上あったといわれる。知事は各州の軍事と民政の双方を掌握し、王族や貴族から任命された。とくに徴税は重要な任務であった。知事は強大な権限を持っていたが、王は「王の目」「王の耳」とよばれる監察官を巡回させ、彼らの動向を監視した。(p.28)

 

『パルティア』

ギリシア人が支配者であったバクトリア王国ではヘレニズム文化が栄えた。それはのちクシャーナ朝のインドで起こったガンダーラ美術に影響を与え、東西文化接合に文化史的役割をはたした。(p.29)

 

『イラン文明』

アケメネス朝の正当な後継王朝を自任したササン朝は、民族的宗教であるゾロアスター教を国教とし、イランの文化的伝統を本格的に復活させた。(p.31)

 

東西交通の要衝の地にあったササン朝では、西方のギリシア=ローマ的要素と東方のオリエント的・インド的要素とが混じりあった国際文化が華やかに栄え、東西の諸国に大きな影響を与えた。とくに建築・美術・工芸の分野では、装飾性に優れたイラン人の芸術的天性が発揮され、なかでも銀器・ガラス器・毛織物・彩釉陶器などの工芸美術がもっともよく知られている。(p.31)